入院してましたさー(喀血

6月21日の更新を最後に更新停止状態になってしまってて申し訳ありませんでした。Sword Breakfieldsです。
一体何があったのかと言うと、入院してました。ゲリが酷かったと言うのもあるのですが、最大の原因は吐き気。まさかこんな理由で入院するハメになろうとは思いもしませんでした。通院による投薬で何とかなると思ってましたからねー。
あ、ちなみに一応自分の病名は潰瘍性大腸炎です。


以下、時系列順に。

  • 6.18 最初の嘔吐。但し朝の1回のみだったので、あまり重要視しなかった。
  • 6.20 食う度に吐く。流石にヤバイと思って病院に連絡を取り、21日に診察の予約を捩じ込んでもらう。
  • 6.21 朝起きた時から凄まじいゲリと吐き気に見舞われる。特に吐き気の為に台所の流しに張り付きっぱなしになる程。

10時前後に改めて病院に連絡を取り、吐き気が落ち着いてきた頃合いを見計らって病院へ向かう。でもその移動中も吐きまくったためビニール袋が手放せなかったり。
その後病院へ到着し、速攻で診察。幸い主治医の人が診察の日だった。どのみちその場で入院決定。点滴生活の始まり。
入ったのは4人部屋。何と言うか、御老人ばかりで若者が見当たらない病棟でありました。しかしクーラーの冷気に弱い性質の為、2週間程で別の部屋へ移動。
ちなみに部屋から移動するのはレントゲン撮影等の検査の時やトイレ、洗面ぐらいのモノでありましたとさー。つっても検査の時は車椅子で移動してたんだけれども。

  • 6月下旬〜7月上旬 連日38度以上の高熱を出す。解熱剤を使ってもすぐに元通りと言う状態。しかし何故か吐き気は収まる。
  • 7.4 毎日の様に点滴を差し替えると言うなかなか冗談じゃない状況の為、中心静脈と言う方法での点滴に切り替わる。何でもこちらの方が栄養価の高い点滴が使える様になるらしい。
  • 7.? ステロイド剤の投与開始。熱は下がるが再び吐き気が復活。
  • 7.1? 最初に転院の話が出たのがこの頃。何でも今の時点でこの病院には潰瘍性大腸炎を専門的に診られる医師がいないと言う話。確かに自分の主治医の人もマニュアルを見ながらそれに従った治療をしていた。

内視鏡検査もした所、大腸自体は軽い炎症を起こしている程度で、他に原因があるのではないかと言うのが所見。自分もこの病気で吐くのはおかしいと思っていたのでそれに激しく同意する。

  • 8.4 あまりものクーラーの冷気の弱さに(廊下から流れ込んでくる冷気にすら反応していた)、個室に移る事になる。トイレと洗面台が付いている為、部屋から出ないでも何とかなると言う訳だ。……その全く部屋から出ないで済むおかげで殆ど歩かないので筋肉が著しく落ちる事になった訳でもあるがー。

ちなみにこの間も強烈な吐き気は続いてます。1日2〜3回は吐いてた様な。

  • 8.2? 原因不明の吐き気の為に結局大学病院へ転院する事に。D大学とJ大学のどちらが良いと聞かれたものの、D大学の方がオススメの様子だったのでそちらへ行く事に。
  • 8.25 D大学病院へ転院。移動中、久々に外の風景を見て妙にテンションが上がる。
  • 8.28 40度ぶっちぎりの高熱を出す。原因は首に刺さってる静脈点滴に黴菌が入り込んでしまった事によるものだったらしく、足の付け根に差し替える事に。
  • 9.? 吐き気の原因はどうやらステロイド剤にあった模様。とりあえず徐々に減らして行く方向で話がまとまる。

それにしたって入院する原因になった吐き気については結局謎のままなんだよな。どうも食中毒を疑われてたみたいなんだけど、思い当たるフシが全く無いし。

  • 9.17 どうも寝る前の薬を21時ではなく23〜24時頃に飲むと、朝吐かずに済む様なので、この辺りから本格的にずらして飲む様になる。以降、吐く事が無くなる。
  • 9.21 順に減らしていたステロイドが5mgになり、しかも2日に1度になる。つーかこれで入院からトータルして3ヶ月目なんですケド!
  • 9.23 カゼをひく。バカです。

いやそんな事より右足に湿疹が発生し始めたのもこの前後ぐらいからなんですが。仕方が無いのでアレルギー用の薬を再開(転院してきた時は状態が良くなっていたので中止していた)。

  • 9.25 最初に前の病院に戻る話が出たのがこの頃だった様な。
  • 9.28 ネット接続工事の為だけに一時帰宅の許可を取る。転院した時と同じ様に、点滴に固まらない様な薬を入れての外出となりました。

但し時間が無いので、接続した後は確認と称してメールのチェックと、ホムペのトップページに入院中の注意書きだけ残して帰ってきましたとさー。
Wさん、夏コミは行けなくて本当にすいませんでした。冬はコキ使ってやって下さい。そして専門学校時代の友人から子供が産まれたメールが来てて、ワシらって一応そーいうトシなんだよなー等と思ったさ。つーか周りに居るので結婚してるのってその子供産んだ友人だけなんだよな!

  • 10.2 ついに夕食から食事が出る様になる。っつっても重湯とタマネギらしきカケラが1かけ2かけしか無いよーなスープとかに豆乳とリンゴゼリーだけの水分重視で非情にお腹に優しいモノのみですが。しかも無茶苦茶冷めてるし!

でも約3ヶ月半振りの満腹感は幸せでした。点滴じゃ満腹感は得られないからネ!

  • 10.5? 三分粥になる。以降、何だかおかずで状態を試されている様な。食物繊維の量とか、味付けの濃さとか。

更にステロイド剤の投与も終了。点滴も食事のレベルに合わせながら徐々に減らして行く事に。

処で1日1回は煮魚系が出てくる気がする。
更に点滴が昼間だけになり、移動がかなりラクになった。当然、点滴が繋がってない間は例の固まらない薬を1日1回注入される訳ですが。

  • 10.10 朝、予告無しに全粥になった。

更に点滴も終了。でもカテーテルは非常事態が起きた時の為に、残される事に。その先端部分までをハラに貼り付けておく為、非常にカユイ。
そして結局元の病院へ転院する前に退院する事になる。しかしこの病院は退院するにも1日の枠があるらしく、とりあえず月曜日に退院の予約を入れる。

  • 10.12 ついに普通のご飯になる。これで食事に関しては消化の良いモノさえ食べれば問題ナシと言う事に。……でもやっぱ食物繊維が敵と言うのは面倒だよなあ。
  • 10.13 カテーテルを抜く。これでようやくシャワーが浴びれるー(この病棟には湯船が無かった)。
  • 10.15 無事退院。

その際に10月中に元の病院の方で診察を受ける様に言われたので、帰り道についでに診察の予約を入れてくる。


まあこんなカンジでした。
6.21は20の夜の日付変更直後にHPを更新したんですね(いつもこのパターン)。その後朝早く起きて病院に行くからとさっさと寝たまでは良かったんだけどねえ。まさか朝起きたらあんな状況になるとは思いもしなかったっすヨ。
しかし何が困ったって、殆どベッドの上で生活せざるを得なくて何も出来なかった事! 住所録を全く管理どころか整理すらしてなかったのが仇となって友人に連絡を取る事も出来ず、更に電源が必要なモノの持ち込みが禁止されてた為に、仕方無く手荷物に忍ばせてたGBAで遊んで時間を潰してました。
それでも転院先ではその辺り緩かったので、予め許可を貰ってノートPCやらPSPやら持ち込んだりしてましたがね。
もう1つ困ったのが、HPの管理。どうにか入院してる事を知らせたかったんですが、流石にネットは禁止だったので、外に出る事も出来無い以上不可能と言う事で、9.28の一時帰宅のスキにお知らせだけ残すハメに。
つーか7月中にはきっと退院出来るだろうと思ってたんだよなあ。それが無理でも一時帰宅とか出来るぐらいには回復するんじゃないかと。夏コミに関しては入院した時点で諦めてたからしょうがないにしても(退院出来た所で参加出来るほど体力が回復するとは思えないし、食事も恐らくかなり限定されたモノしか食えないだろう事が目に見えていたので)。
しかも他のイベントも行く事すら出来なかったしね。行きたかったなあ、ファルガイア・サミット!


ちなみにメールは8月4日以前のものは確認不能となってました。そんな訳で、それ以前にメールやメッセージを下さった方、もし居りましたらもう1度送り付けてやって下さい(平伏